軍艦島☆
『ドリーム工場』長崎公演のオフ日、軍艦島クルーズに行ってきました
軍艦島は、長崎港から南西に約19mの沖合いに位置する端島(はしま)のこと。
岸壁が島全体を覆囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから、軍艦島と呼ばれるようになったのだとか。
こちらの船に乗り込み、いざ出発
凪いでいるとはいえけっこう揺れますが、風が気持ちいい
クルーズ中も周りの島や歴史についてガイドさんが説明して下さって、とても面白かったです。
30分ほどで、軍艦島が見えてきたー
軍艦島は、海底炭鉱の島。
1810年頃に石炭が発見され、1890年三菱の経営となり本格的海底炭鉱として操業が開始されました。
出炭量が増加するにつれ人口も増加し、狭い島で多くの人が生活するため日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、最盛期には約5,300人もの人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度にまで達したそうです。
エネルギー革命により、エネルギーの需要が石炭から石油に移ったことで、出炭量も人口も徐々に減少し、1974年に閉山した後は無人島になりました。
軍艦島の回りをぐる~り周遊。
廃墟と化したコンクリートジャングルは、やっぱり迫力があります
そしていよいよ上陸っ
今までは周遊クルーズのみでしたが、5年程前から上陸できるようになりました。
海底炭鉱の発掘作業は、海面下海面下1,000m以上の地点にまで及びました。
勾配はきつく、気温30℃、湿度95%という悪条件のもと、ガス爆発など常に危険と隣合わせの仕事はとても過酷なものだったそうです。
下の画像の右手前が、第二堅炭鉱口桟橋後。
急降下する最先端のエレベーターの速度は、なんとスカイツリーのエレベーターと同じくらい
桟橋への昇降階段部分が残っています。
左奥のレンガ造りの建物は、鉱山の中枢であった総合事務所です。
炭鉱マンのための大きな共同浴場がありました。
全身煤だらけなので、洋服や靴のまま浸かり、浴槽はいつも真っ黒。
迎えに来た娘も、どれか父親だか分からないほどだったとか。
山の上には、端島神社。
危険と隣り合わせの鉱員たちにとって、神社は心の拠り所でした。
神殿の下に拝殿もありましたが、現在は祠のみとなっています。
私たちの後ろに聳える30号アパートは、日本最古の7階建て鉄筋コンクリートです。
内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、地下には売店も。
ミケちゃんと
過酷な生活かと思いきや、むしろ陸地よりリッチな暮らしぶりだったという一面も。
学校や病院、商店のほか、映画館やパチンコホールなど娯楽施設も揃っていました。
当時まだ珍しかったテレビも、軍艦島では家庭ごとに所有していたそう。
ただ草木のない水成岩の島で、木々の生える場所がなかったため、アパートの屋上に土を運び、花や野菜を育てました。
これが日本初の屋上菜園だったといわれています。
全く知らなかった歴史ばかりで、本当に勉強になりました。
行って良かった~
帰りの船では、長崎名物のカステラアイスをいただきました。
美味しかった
ちなみにB’zが軍艦島でPVを撮影したとのことで、船内でそのPVを堪能しました(笑)
長崎港に戻ってきました。ただいま~
炭鉱閉山後、長い眠りについていた軍艦島ですが、2009年に世界遺産暫定リストに掲載された「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産の一つとして、また新しい歴史を刻もうとしています。
40年の時を経て、今、世界遺産へ…
~グラバー園・前編につづく~